出来過ぎなくらいドラマチックだったINDEPENDENT:SSS沖縄公演の顛末を綴るシリーズ第二弾。
第一弾はコチラ
9/14(水)
翌朝、電波も入らないし、色々急ぐ必要は無いのでゆっくり起きて、沖縄用の映像の修正作業と当日パンフの編集を進める、今日は波が荒いなぁと思っていると、船内放送から、沖縄へ向かう事ができず鹿児島沖に停泊する可能性がある旨が流れる。
作業を全て中断し、昨晩寝ながら考えたプランをシミュレートする。鹿児島沖に停泊したとして、何日の何時までに船が動けば何がやれるのか?
鹿児島から沖縄までは全体の航海時間から考えて大体18時間。停泊が決まれば少なくとも仕込み日の前半に到着する事はできない。最低レベルでもタイムスケジュールの大幅な変更が必要。金曜公演があるならツアー組はリハがほとんどできないかもしれない。舞台のサイズや雰囲気が大きく変わる沖縄でそれは厳しいだろう。金曜の公演は絶望的か?
停泊が長引いて今日の夜以降の移動再開になると仕込み日のうちには着かない。初日の朝着が予想されるので確実に金曜の公演は中止。リハーサルの時間もかなり圧迫されてしまう。デメリットが大きい。
停泊がそれ以上になると、機材や美術の到着は諦めるしかない。あとは現地調達でもやるかやらないか、やれるのかだけだ。
ここまで一気に考えていると、かなりの時間がたったようで、フェリーの停泊に関して結論が出た。19:00に鹿児島錦江湾で錨を下ろし洋上待機となるとのこと。19:00に錨を下ろしてその夜に出る可能性は低いだろうから、確実に2段階目以降のプランとなる。
船舶電話で至急制作の笠原に連絡を取る。丁度空港に向かう途中だったので、手短に状況を伝え(船舶電話は声が遠かったり結構大変です)スタッフチームの沖縄着後、こちらとしては陸が近づいて携帯が使えるようになったタイミングで詳しく打ち合わせる事にした。
鹿児島に近づいて行く船の中で今度は、積み込んだ荷物の中で何が現地調達できそうで、何が調達できないか。無いと決定的に困るものは何か?などを洗い出す。各ユニットの舞台小道具類が一番困るのだが、労力と費用を覚悟すれば1点を除いては現地調達できる可能性があった。赤猫ロックのハイライトで純白のウエディングドレスを中から染め上げるプロジェクターは、僕が自ら改造した特殊仕様のもので代えがきかない。がそもそも映像のオペレート機材も無いので、大幅な演出プランの変更が必要になる。
それはどの作品に関しても多かれ少なかれ発生する。俳優と演出家がそれでもやる、やりたいと言わない限り公演が成立しない事はすぐに分かっていた。だが、ツアーを回ってお互いに対する信頼とリスペクトを強め、各地域の参加ユニットや関係者観客たちとバトンを交わしてきたこの座組なら、必ずやると言ってくれると信じていた。
さらにそれを支えるスタッフ達の負担は想像を絶して大きい。だけどこの難しい挑戦に、文句を言いながらも立ち向かって行く彼らの姿が想像できた。その表情は疲れているんだけど楽しそうなんだ。
どうしてもダメだ、INDEPENDENTの為にならないとなれば舞台監督の小野が止めてくれる。彼女は僕以外で唯一INDEPENDENTの10年全てを知る僕とINDEPENDENTの盟友。僕は、彼女が「わかりましたやりましょう」という条件さえ提示出来れば、あとは彼女がどうにかやってくれると確信していた。
そして制作的には笠原に任せておけば心配は無い。僕はその都度必要な決断をするだけだ。
鹿児島錦江湾が近づき携帯の電波が入って、連絡を取る。丁度劇場への挨拶と下見のタイミングで、笠原に全体的な状況を説明した上で、各スタッフと作戦を立てる。一番心配したのは、音響のデータだ。機材は全てフェリーだが、データのバックアップが須川の手元か、もしくは自宅にあるようなら明日大阪から飛ぶメンバーにピックアップしてもらえる。そう考えていたところ、既に手元にある事がわかり、あとはオペレートに使うマシンの問題だけだった。解決できそうだ。
照明機材は、予算的には厳しいが現地のレンタルで何とか対応できるのではと考えていた。今回沖縄で出演する犬養さんは音響家でもある。犬養さんの人脈をお借りすれば目処が立つのでは無いかと溝渕と合意に至る。
舞台に関しては、トラスや袖、これまでの場ミリが残る黒パンチをあきらめれば舞台小道具以外はクリアできる。あとは観客に見せるクオリティに到達できるのかどうかだけが問題となった。小野が懸念したのは、そのクオリティ判断をするべき僕がその場にいられない事だ。
僕は、この件を一旦保留し、まずは出演者と演出に連絡を取り、状況の説明と上演意思を確認する事を最優先とした。時間が後になればなるほど選択肢が奪われる可能性が高かったからだ。
この時点で僕は、例え無料でも公演をするつもりだった。
本来ならば、全員に僕が連絡を取るべきだが、緊急事態に際しとにかくスピードを優先して、小野・笠原と手分けして出演者・演出家と連絡を取る。
結果は想像通り全員が、不完全な状態でもベストを尽くして、あるいは本来以上の作品にするという答えだった。
それぞれの電話を切った後、正直に告白すれば泣いた。電波の不安定な洋上で、かすれたり途切れたりする会話の中、それでもお互いの想いは通じたと信じる。一件電話をかけ泣き、落ち着いてはまた一件電話をかける。完全に闇に落ちたフェリーのデッキでその繰り返し。
小野・笠原とそれぞれの結果を確認し、公演自体の決行は決定。金曜の公演をどうするかと料金等は、明朝僕のフェリーが動くかどうかと、現地調達・仕込みの進行状況で判断する事とした。
ここからは想像と聞いた話だが、各スタッフは翌日現地調達するために情報を集め作戦を立て、各自のプランを修正した。作業は明け方近くまで続いただろう。
僕も、完全に無駄になるかもしれないと思いつつも、映像の直しとデザイン作業を進め、ココからできることは何があるかを考え寝た。明日は様々なシビアな判断をほぼ即決でしていかなくてはいけない。体はともかくアタマを休めないとまずいと思った。実際、日中のシミュレートはかなり堪えていた。
(続く)
2011年09月22日
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