出来過ぎなくらいドラマチックだったINDEPENDENT:SSS沖縄公演の顛末を綴るシリーズ第三弾。
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9/15(木)仕込み日
朝8時の船内放送で、本日は終日洋上待機が継続することが発表された。本来ならばあと1時間後には沖縄の陸地を眺め、港への接舷を今か今かと待っている時間の宣告。
覚悟を決めて笠原にメールで連絡。(トラブってなければまだ寝てる時間なので)想定した最悪のプラン。全てを現地調達で公演にこぎつける。最も困難な挑戦が始まった。
現地での詳細な動きは僕にはわからない。照明機材の手配には犬養さんが運搬まで含めて協力してくれ、感謝してもしきれない。機材を貸してくださった沖縄舞台さんにも大感謝。(その上見にまできて下った。)溝渕は劇場で出来る仕込みから始めて機材を待ち、小野と須川は必要な物資備品の買い出しに奔走。
にも関わらず、ほぼ当初のタイムスケジュール通りに沖縄ユニットのリハーサルを開始した。本当に素晴らしいスタッフだと思う。予算上現地で調達できる増員にも限りがある。ツアー全体を含めて、自分の分野だけでなく、互いに助け合いながらここまでやって来た。最後に最高に良い仕事をしてくれた。
僕は、洋上待機が長引くため、特別に車両甲板へ入って荷物の回収が認められたので、音響のMacと、自分の映像DJ用のMacを回収して作業環境を整えた。笠原と連絡を取り、入場料の件、この事態の発表の方法などを相談する。大方の方向が決まり、発表のための文章を書く。書きながら悔しさに涙が滲んでくる。自室は快適だが、あまりにも塞ぎ込みそうだったので、人が集まっている船の中央にある食事スペースで書いていたのだが…
何度も詰まりながら書き上げた文章を送る。続いて沖縄で必要になる制作備品類のデザインを直して送る作業の繰り返し。
リハーサルが始まり、クオリティ的な最低限の保障が可能だと舞台監督小野と笠原の報告を受け、正式にチケット代を決め、17:03にブログで正式発表した。この情報は瞬く間にtwitterのタイムラインを駆け巡り、日本中の多くの人たちから応援のツイートが帰って来た。それはツアー関係者、演劇関係者にとどまらず、各地でINDEPENDENTを見てくれたお客さんたちからも多くの声援が届いた。
電波の不安定な洋上の僕のiPhoneはこんな時ばっかり絶好調で、関連ツイートを知らせるメッセージ音が何度も何度も鳴り響いた。その度に涙が滲む。堪らずデッキに出ると、気持ち良い空。おまけに時折のにわか雨で虹まで出てる。台風の奴まで僕を泣かせようとしてこんな事をしてるんじゃ無いかと思うほど。
船の上でひとりぼっちだけど、キチンと繋がっている、一緒に闘っていると実感した時間だった。
現場はスタッフたちがやってくれる。じゃぁ僕に出来る事は何か。とにかく駆けつける事なんじゃないかとこの時から考え始めた。
旅客規定でも車両規定でも、途中下船は本来ならばNGのようだ。そもそも洋上に浮かんじゃってるんだからどうしようもない。接舷するチャンスはあるのか?そんなことを考えながら、作業を進める。
笠原から札幌組以外が集結した事とスカイプでリハーサルを送れそうと連絡が入る。途切れ途切れだし、僕のiPhoneは3GSなので相手に自分を見せながら見れないのだが、会場の雰囲気と作品の空気、何より頑張ってくれているスタッフの笑顔が見れて、本当に嬉しかった。その後、音響須川から要請のある音響データを加工してDropboxに送付する作業を繰り返す。
食べないと体力が持たないが、もうカップラーメンも冷凍食品も喉を通りにくい。ビールの自販機があるのだけがせめてもの救い。みんなもそろそろ飲んでる頃をイメージして、一人晩酌した。
船に乗り込んでそろそろ52時間。明日は最後に残った札幌チームが飛ぶ。無事についてくれれば、僕がいなくても幕はあく。星空に祈って寝た。さっきまで土砂降りだったが、今鹿児島はこんなに晴れてる。
(続く)
2011年09月22日
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