出来過ぎなくらいドラマチックだったINDEPENDENT:SSS沖縄公演の顛末を綴るシリーズ第四弾。ついに運命の初日。
第一弾はコチラ
第二弾はコチラ
第三弾はコチラ
9/16(金)初日
朝、鹿児島錦江湾沖は雨だった。沖縄はどうだろう?札幌からの飛行機は(正確には札幌から直行便は無いので東京経由)無事に飛ぶだろうか?
この段階になると自分に出来る事はほとんどなくなっていたので、初日の無事を祈った。
すると船内放送で、物資の補給の為、3時間だけ一時的に港に接舷するとのこと。個人の買い出しの為に一時的な下船もできるとの事。
来た!チャンスだ。昨晩考えたとおり、チャンスが有るとすれば、この小さいフェリーの燃料や水が尽きる時。実際、一昨日の晩から通常24時間使えるシャワーの時間が節水の為に区切られた。補給の可能性を期待していたのだ。
チャンスは今しかない。ここでなんとか降りることが出来れば、沖縄に行けるかもしれない。ここは鹿児島の南端だから、飛行場まで上手く移動できるかわからない。飛行機の時間に間に合うか、座席はまだ有るのか?そもそも台風の接近で飛べるのか?リスクはまだまだある。
ただ、少なくとも陸に上がって電波の安定したところ、ネット回線があるところに居れば、追加のオーダーに応える事も、指示を与える事も、skypeやUstreamの映像だって安定して見やすくなる。取り敢えず降りよう。
そう考えて、船の事務長さんと話した。事務長さんはかなりお年の方だが、とても元気で親切な人。乗船時に部屋の空きが有るからと、一人部屋に調整してくれたのも、特別措置で船舶電話で連絡を取らせてくれたのも、車両甲板への立ち入りを許可してくれたのも事務長さん。INDEPENDENTが、この状況でも沖縄で初日を迎えられそうなのは、影の功労者であるフェリーの事務長さんの存在があるのだ。
これまでの判断は事務長さんの一存だった。が、接舷した港で車は預けっぱなしにしたまま乗員だけ下船したいという申し出にはさすがに即答できなかった。昨日調べたとおり、規則上はダメなのだ。事情を説明すると長すぎるし、この人なら事情に関係なく受け止めてくれると信じ、ひたすら頼み込む。
長い沈黙のあと「会社に問い合わせて頼んであげるから待って」と言われ、待つ事に。実際にはそれほど長い時間ではなかったのだろうが、随分と長く感じられた。
結論から言うと、イレギュラーではあるが、特別に許可するとの事。ただ、鹿児島沖から那覇の到着にはどれくらいかかるか現状わからず、受け取りは必ず本人が那覇でするという条件だった。僕が公演後も沖縄延泊する事が出来れば飲める条件。
待っている間に飛行機の時間は調べた。今から乗れる可能性があるのは2便。その上初日開演に間に合う便は1便。14:25鹿児島発のソラシドエア(ANAコードシェア)このワンチャンスに掛ける!
(余談だが、JALは鹿児島⇔沖縄の直行便が無いのだ福岡か奄美大島を経由になる。タイムロス!)
ここからは僕の緊急ミッションが始まった。
船が接舷するまで約30分。それまでに必要な準備を全て終えなくてはならない。奇しくも前日に見つけた不思議な雲を「天空の城ラピュタ」になぞらえて「龍の巣だ!」とツイートしたところだったのだが、今日は「40秒で仕度しな!」である。
笠原に地上に降りれるがまだ沖縄に向えるかは不明と連絡し、手荷物の範囲で持てる今からでも役立つ機材は無いかと考え、音響須川のPC一式を用意。自室の鹿児島沖仮設プロデューサールームを片付け、今から沖縄に持っていってもしょうがない物は搬入車両に戻す。一人部屋で散乱した私物を再度パッキングする。無事に沖縄につくまではと願掛けで伸ばし続けたヒゲはそのままに、部屋を空にした。
岸壁が近づいてくる。沖から見えて、狂おしいほど望んだ場所。朝から降り続く雨が一層強くなり、今は完全に土砂降りだ。本当に飛行機は飛ぶのだろうか?不安は増すが、岸壁ではカッパを来た港湾員達が忙しく接舷の準備をしている。行くしかないんだ!そう信じ、手荷物をぐっと引き寄せる。
僕以外にもう一人仕事で途中下船する人がいるという事で事務長さんが、鹿児島駅行きの車を用意してくれた。これも会社に頼んでくれたらしい。GoogleMapで調べると、港から最寄駅までかなりあり、電車も普通電車しかないので、時間的にかなりタイトな予想だったから大変助った。
さらに事務長さんは鹿児島の人で(マルエーフェリーは、東京・関西・鹿児島・沖縄及び離島を繋ぐフェリーです。)、一時下船して食事や買い出しに行く人たちの為に会社の同僚の車をかき集め、それでも足りないからと自分の息子達まで呼んでいました。なんて良い人なんだ!
荷物が一杯なんで傘もさせず、雨と銃弾をかいくぐる戦争映画よろしく、荷物を守りながら土砂降りの雨の中、タラップを駆け下りる。用意されたクルマに滑り込むと、船が正面に見えた。乗っていると小さく感じたけど、こんなにデカかったんだなぁと思っていると、もう一人の下船者が乗り込んで車が出発した。
緊急ミッション第一段階クリア。フェリーからの脱出に成功。
鹿児島駅まで車で40分ほど。そこからさらに空港バスに乗るので飛行機の時間までかなりスレスレだ。行けるか?
無駄になってはいけないので、飛行機のチケットは残数を定期的にチェックしながらいつでも押さえられるようにiPhoneを待機。
余裕のない中だけど車中から見た鹿児島の街は素敵な雰囲気。是非、普通にゆっくりと旅行で来たいなと思った。
鹿児島駅に到着。フェリー会社の人にお礼を言って空港バスへ走る。
丁度出ようとする便に間に合った。途中でとんでもないことでも起きない限り空港には飛行機に間に合う時間に付きそうだ。もう一度飛行状況を確認し、バスの中から、飛行機のチケットを取る。ネット決済万歳!入ってて良かったANAマイレージカード。
無事、鹿児島空港に到着し、緊急ミッション第二段階クリア。次は飛行機が予定時刻に飛べば初日開演前到着の可能性は飛躍的に上がる。
チェックインと手荷物預けを終え、飛行場から笠原に連絡。飛行機も何とか飛びそうだし沖縄に着けそうな旨報告。ここで少しイタズラ心が出た。俳優や演出家達は、僕が沖縄に向かう緊急ミッションを遂行中である事を知らない。twitterでもあえて公式ハッシュタグを付けずに呟いた。リハ真っ最中の現地メンバーは確認する余裕も無いから、彼らは知らず、この情勢をチェックしている全国の演劇人とお客さんだけに状況が想像出来ているはずと考えてのこと。折角だから驚かせて、初日へのテンションをさらに上げてやろう!と笠原も同意しサプライズを決め込んだ。
僕も次第にテンションが上がる。沖縄に着けるとなれば、明日千秋楽の最後にエンドロールを流せる可能性がある。機内で電子機器が使えるようになると、僕はその下準備の作業に入った。
余談だが、九州を中心に就航しているソラシドエアは、ホスピタリティに溢れCAさんも美人が多かった(笑)今度は落ち着いてプライヴェートで利用したい。
飛行機は、ちょっと揺れ少し到着が遅れたが通常通りに沖縄に到着した。まだ三度目だが、沖縄本島はもう十分に熟知している。速やかに荷物をピックアップしゆいレール(沖縄唯一の電車で那覇中心部を走るモノレール)に向かう。ツイートも忘れない。
「緊急ミッション第4段階クリア。最終の軌道変更に成功、これであの場所へ向かうコースへ!」沖縄でも上演される「はやぶさ(MUSES-C)〜星に願いを」の中のセリフを引用。たくさんのトラブルにもめげず、不屈の精神で地球に帰還したはやぶさとそのスタッフたちとの物語は、いつも僕に勇気をくれる。
モノレールは静かに走り出し、次第に劇場のある国際通りへ近づいて行く。牧志の駅で降り、歩き慣れた国際通りを、ズンズン劇場へ向かう。劇場下の坂に着いて笠原に電話。丁度開演準備直前。気合いれをするには良いタイミング。
INDEPENDENTは、個人の集まりで各々開演時間も違う為、初日といえども全体が集まって気合入れをすることはない。でも今回の不測の事態に当たり、特別に集まる事は不自然では無い。笠原と舞台監督小野の巧妙な罠だ!
小野が出ハケ口などの注意事項を再確認していると、笠原が劇場の扉を押し開け「アイウチP到着です!」舞台上の俳優たちのあぜんとした顔が目に飛び込んで来た。一瞬遅れて歓声とAKB48「会いたかった」。AKBかよ!と突っ込みつつ、須川ありがとな!この遊び心があれば今日の初日も大丈夫と確信した。スタッフは忙しい中リハもこなしつつ、このサプライズを仕掛けたのだ。
全員のテンションが上がって行くのを感じる。ステージ上の俳優たちに向かってゆっくり歩き出す。いやたぶん普通の早さなんだろうけど、体感はゆっくりだった。まるでレッドカーペットをゆっくり歩く受賞監督の気分。俳優達とガッチリ握手を交わすと、最後の大塚君に抱き締められた。「遅いじゃ無いかよ!」「待たせたな!」
スタッフ達とも握手を交わし、慌ただしく劇場が動き出す。いつもの本番前。当たり前の風景がこんなに特別に感じられる事は、きっと幸せな事だ。
僕は、これまでは本番ではDJと映像を担当していたが、沖縄公演では、この二つがお幅に省力され、DJはゲストDJのBGY氏が選曲して大阪から送ってくれた。映像も作品前に流れるタイトル映像は機材がないので諦めた。ので今日の本番は完全に純粋に観客として観る。
普段は笠原が担当していた前説を沖縄公演では僕が担当する事になり、お客様の前に立つ。前説には慣れてるし人前も平気だ、でも今日はちょっと特別。思いが込み上げすぎておかしな事にならないように務めた。沖縄のお客様にはこちらの事情や感情は関係無いんだから、いつものように冷静に。
上演も、いつものようにスムーズに進んだ。初見ならこういう作品だと全く違和感なく観れるはず。あとから初日打ち上げで舞台監督の小野が「2,500円でも大丈夫でしたね」と言った程。実際それだけのクオリティだった。ただクオリティは下がっていないが、他の地域でお見せしたものとは良くも悪くも変わっているので、同じ価値基準では判断できなかったと思う。価格変更の選択は誠意として正しかったと思う。
出演者やスタッフは達は、1,500円で、2,500円以上の芝居を見せたんだ。無問題ではないか。
残念ながら満席にはならなかったが、決して少なくないお客さんが真剣に作品を見てくれているのも嬉しかった。客席が静かだから不満なのかな?と思うが、作品が終わると大きな拍手。沖縄に限らず、作品の見方や受け止め方の地域による違いは本当に面白い。このツアーを回る醍醐味の一つだ。
無事に初日の公演を終えて初日打ち上げへ。詳しくは書かないが、本当に楽しい時間だった。船上では常にカップラーメンと冷凍食品だったので、生野菜が嬉しい。もともと野菜や豆腐が好きな僕には格別な思いだった。
こうして無事初日を終え、翌日に備えて早めに解散。僕は宿泊予定よりも2日遅れて宿に入った。そして機内で下準備していたエンドロールの製作にかかる。
当初は、沖縄が最後だからといって沖縄の観客にとっては一公演に過ぎないのだから特別な事はしないつもりだった。沖縄上演6作品を最後に紹介する普通のエンドロール。
だが、今回の事があって気持ちは変わった。全国から繋がったバトンをやはり沖縄で最後に届けなくては、そしてそれを次に繋げないと。
大千秋楽スペシャルのエンドロール製作は明け方まで続いたが、全然しんどくはなかった。ここまで頑張ってくれた出演者やスタッフへの感謝を込めたロール。今の僕に出来る精一杯だ。
こうして、予定より2日遅れた僕の沖縄の夜はふけていった。
(続く)
2011年09月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック