バトンを継ぐもの
9月16日(金)。相内プロデューサーを乗せたフェリーは、台風15号の影響で鹿児島県沖に漂っていた。数時間後に「INDEPENDENT:2ndSeasonSelection」沖縄公演の幕があく。だが、小道具と音響・照明の機材を乗せた車はここにある。先に劇場入りしているスタッフと電話やスカイプで議論を重ねる。もどかしい。
「役者はやろう、というと思った。そういう気概を持つメンバーが揃っているから。気持ちはわかるけれど、この完成度で幕をあけていいのか。舞台装置も完璧ではない。万が一、役者の身に何かあっては」。舞台監督の小野かっこは悩んだ。情熱をくみとる一方で、冷静な声をあげるのが彼女の役割でもある。
現地でパソコンを購入し、音響・照明の機材もなんとかリースできた。電器店やホームセンター、100円均一ショップを往復し、小道具も一から作った。手痛い出費ではあるが、最低限のものはそろった。
「僕の答えは、いつも変わりません。可能性があるならそれに向かって全力で挑みたい」相内は、洋上からブログに記す。「今回、最も大変なのは作品を大幅に調整し直さなくてはならない出演者と、何よりそれを支えるスタッフたちです。彼らがやらないと言ったらそこまででした。彼らは、それぞれ違う言葉で、どんな形であれやれるところまで頑張ってみようと言ってくれました。僕は幸せ者です」
ツイッターのタイムラインは、激励であふれた。
−大丈夫、きっと大丈夫。信じてるし、一緒に戦うよ。
−応援することしかできないが、応援!!!
−誰かが欠けた、何かが足りないで、損なわれるものではない。今この瞬間に、各地で祈っているのが、それこそがバトンだ。
−俳優って生き物はそんな状況こそ燃えるもんだ。最強の名はダテじゃない、アイツらなら、尚更!
全国を一緒に回ったほかのセレクションメンバー、スタッフ、関係者、観客。役者の中には、もう次の現場で本番を迎えている者もいる。それぞれの場所から、空き時間に携帯電話をくいいるように見つめる姿が目に浮かんだ。
「理想」と「現実」に向き合い、最終的に鑑賞料金を1,000円値下げすることで、幕をあけることを決めた。
「相内さん、なんとか船から降りられそうです」。
午後2時頃だったか、制作の笠原希が耳打ちしてきた。
「でも役者さんには黙っておきます。到着したら、本番前にサプライズで入ってもらおうと思って」
いたずらっぽく笑う。強い、と感じた。
午後5時すぎ。「気合い入れ」の趣旨で全員が劇場内に集められた。それまで一度にそろうことはなかったキャスト、スタッフの顔は少しこわばっている。そこへ、劇場の扉が開いた。相内だった。「会いたかった!会いたかった!会いたかった!YES!」と曲が響き、歓声があがる。
船が鹿児島の港に着いたとき無理矢理降ろしてもらい、体一つで飛行機で那覇へ降り立ったという。無精髭を生やし、疲れた表情は隠せなかったが、役者一人ひとりと、がっちり握手を交わす。
「遅いじゃないかよ!」
大塚宣幸が抱きしめる。
「お待たせしました。やれることを、全力でやりましょう」
空気は追い風。嵐の風は弱まらないが、桜坂劇場Bホールの入り口が、にぎわいはじめた。
今回は、相内が選んだ10組のほかに、「地域製作作品」という枠が設けられ、各地の役者が数組、一人芝居を披露した。だが、縁もゆかりもない沖縄では、オーディションが実施できず、沖縄の演劇人を募って手を挙げたのが、与那嶺圭一といぬかいのりこだった。
与那嶺圭一の「修学旅行」。「琉神マブヤー」(琉球放送)の出演者としても活躍する彼は、さすがに観客の心を持って行く速度が早い。ナチュラルな沖縄弁、キレのある動きで「いまいちパッとしない男子中学生」の青春を甘酸っぱく演じる。正直、沖縄の現代演劇に笑いがこれほどフィットしているとは思いもしなかっただけに、うれしさでニヤニヤしてしまう。映像を有効的に取り入れながら、憧れの「マユミちゃん」に近づいていく。ホームの有利さを取り払っても、「タモツ」のまっすぐなピュアさに、大きな拍手が寄せられた。
そして、いぬかいのりこ。沖縄の演劇人なら知らぬ人はいないというベテラン女優も笑いを心得ていた。聞けば、幼い頃は関西に住んでいたという。ウィンナーコーヒーにウィンナーが入っていると本気で思い込む女性は、求婚と復縁を迫る男になんとか諦めさせようと「愚妻宣言」を言い渡す。冒頭、喫茶店のシーンからラストの暗転の直前まで、絶妙な間と声量で客席を“クスクス笑い”の渦に巻き込んだ。見終わった後、ずいぶん長い間話し込んだような気になった。親しみと同時に「やられた!」という感覚が新鮮だった。
余談だが、今回機材を揃えることができたのは、彼女が人脈を生かして奔走してくれたおかげ。彼女がいなければ、この公演は成り立たなかったかもしれない。
そして、約2か月ぶりに会う大阪の役者陣。大阪、東京、仙台、福岡、札幌、三重、沖縄。全国を回るうちに、各地の役者と交流し、客席の匂いをかぎ取り、どのように変化したのか。それが楽しみだった。誰も2か月前と同じ場所にはいなかった。
谷屋俊輔の「はやぶさ」。「魂は宿っているはずだ」のセリフが、心にすとんと落ちてくる。表情を追ううち、いつの間にか自分の手を握りしめていた。公演を重ねて、金色のシャツは鈍い色になったが、谷屋の動きと感情の流れは反比例するように研ぎすまされている。圧巻だったのは、これまで後ろを向いて去っていたラストシーン。沖縄では舞台の奥行きと照明の位置を考慮して、真正面から演じた。発光しながら闇に消えゆくはやぶさが、脳裏に焼き付いて離れない。
ウェディングドレス姿で30分間をかけぬける、ヤマサキエリカの「赤猫ロック」は、すごみを増した。母親が亡くなってから火葬場のくだりでは、客席で鼻をすする音が多く聞こえた。少女から女性に変わるその間。さんざん格闘しながら、ついに沖縄の舞台でゆるぎないものを見つけたことは、聞かなくてもわかった。本番後、彼女は「客席に奇跡のような温かさがあった」と言っていた。2009年から一体、何キロを走ったのだろう。彼女の精神力と足の裏に拍手したい。
脚本の鉄板ネタに加え、“ご当地ネタ”をサラリと仕入れる大塚宣幸の「101人ねえちゃん」は、役者間でも話題の的だった。今回は「ちんすこう」と沖縄弁を盛り込み、楽日には101人の中に榮田やいぬかいの名前も登場。決して内輪ネタではなく、連続して観ていれば必ず笑えるものだ。リハーサルを見て知ったのだが、彼は徹底的に見せ方にこだわる役者だった。沖縄弁も、本番直前までいぬかいの沖縄弁を録音して聞き込んでいたらしい。沖縄の地に確実に“爪跡を残した”。
那覇でも軽やかに食べ続けた榮田佳子。男の家を渡り歩く、とらえどころのない女性は沖縄の空気を受け、さらに解放されていた。劇場入りした途端、舞台を見てイトウワカナが演出を加えはじめ、榮田が瞬時に対応していく。加藤組の「マラソロ」から受け継いだイントロ曲もすっかり自分のモノにし、エロさも全開。冷静に考えると苦行のような暴食だが、榮田の底抜けの明るさはオンでもオフでも変わらない。だからこそ、この作品を笑って見られるのだと改めて感じる、強い舞台だった。
結局のところ、沖縄公演は大阪のクオリティにひけをとらない、いや、役者に限っていうとそれ以上の出来だったのではと思う。そう感じさせるスタッフのテクニックと気概にも脱帽だった。
ツイッターでの盛り上がりを受け、楽日は舞台をユーストリームで中継することになった。異例のことではあるが、沖縄公演の波乱をただ見守るしかない全国の観客に向けてのスタッフの配慮だった。
「#inSSS」のタイムラインは即時に驚き、激励、感想であふれた。中には、本番直前の役者の声も。ツイッターを読みながら泣けてくるというのは、初めての感覚だった。
生中継を見守った演出の早川康介は、本番を終え「ダメ出し100個くらいあるけど、大塚くん、お疲れさま。101人ねえちゃんを、おもしろくしてくれてありがとう」と、彼らしくつぶやいた。
打ち上げの席では、Sun!!、玉置玲央、福山俊朗、横田江美、加藤智之、山田百次らセレクションメンバーから次々と電話が入り、携帯が忙しく役者の間を往復した。何を話したかは知らない。ツアーをともにかけぬけた同志の沖縄最終公演への思いは、計り知れないものがあるのだろう。楽日にフラリと沖縄へ現れた「赤猫ロック」演出家の戒田竜治が、お開きの間際「ありがとう」と、ヤマサキに握手を求めたのも私は見逃さなかった。
「劇団を超えた出会い、多くの地域とつながりを作りたい」
そう考え、プロデューサーとして相内が仕組んだ「INDEPENDENT」。10年目にまた新しい歴史が刻まれた。こんな風に困難を越えて、まだ見ぬ役者、脚本家、演出家の組み合わせ、そして各地の劇場へ、バトンはつながっていくのだ。
仁張美穂